道教の教えについて ~ スローライフのすすめ ~

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みなさん こんにちは。

朱です。

本日は 道教の教え のコラムです。

 

日本では儒教が広まっていますが

その対となっているのが

道教です!

あまり日本には広まっていませんが

一体どんな教えなのでしょうか?

 

 

道教って? 〉

『 易や陰陽五行説といった、色々な要素が融合して成立した多神教的宗教 』

となっていす。

主な思想が「神仙思想」と「老荘思想」があります。

簡単に説明すると

神仙思想・・・不老不死の仙人がいるとし、人間が仙人になれると信じる思想

老荘思想・・・理想を追い求めすぎずに、「道(タオ)」に任せて生きるとする思想

となっています。

その思想の根幹は

「道(タオ)」と「無為自然(むいしぜん)」という概念です。

 

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〈 内容は? 〉

道(タオ)・・・人間の言葉では表現できない何かです。

それは万物の根源とされていて

人間ではたどり着くことができない境地であると

老子は説いています。

老子が語る「道(タオ)」に

具体的な概念はありません。

はっきりしない何かなので

概念は存在しないのです。

シンプルな言い方をすれば

神という人間が恐れる存在がいる場所でしょうか。

 

無為自然・・・「無為」という言葉の意味は

無為無策」「無為に過ごす」のように

「なにもしないでいること」という意味でよく使われます。

しかし『老子』で使用されている「無為」は

「意図や作為のないさま」という意味です。

これは、一切なにもしないということではなく

作為的なことはなにも行なわないことと

とらえるとわかりやすいと思います。

では、「作為的なことはなにもしていないのに、すべてを為している」とは

どういう状態でしょうか。

天地を例にして考えてみると

天や地は意思をもたないから「無為」の状態ですが

無為でありながらも

その働きは常にこの世界全体に行きわたっています。

季節はめぐり

太陽は大地を照らし

雲は雨を降らし

大地の上では植物や虫や動物がそれらの恩恵を受けて育っていきます。

つまり

『 なにかをしようとわざわざ考えずとも、天地はすべてのことを為している 』

ということになります。

そう考えていくと

老子』でいう「無為」とは

意図や意思、主観をすべて捨て去って

「道」(天地自然の働き)に身を任せて生きている

ありのままの意味しているといえます。

老子』はこの「無為自然」を理想としました。

〈 まとめ 〉

今回の記事はいかがでしたか?

 

ありのままがいいですね♬

 

今後も ビジネス や 転職 に有益な情報を発信していくので、

よろしくお願いします。